鈴木さん

これまで一緒にウイグル支援をして頂いた、マレーシア在住の鈴木さんが亡くなりました。ムスリマとしてマレーシアの地に埋葬されたということなので、天国に入る日までそこで眠っています。彼女が天国に行けるよう、また遺された方々への慰めがあるようお祈り致します。

睡眠中の突然死であり、その連絡があったのは日曜の深夜、突然の話でにわかには信じ難く、日本人スタッフの皆も驚き、非常に悲しい気持ちでいます。まだ若い方でしたし、近いうちにまた会いましょうと言っていましたので、亡くなった事実をまだ受け入れることができていないような状況です。

昨年の世界ウイグル会議代表大会中に、日本に帰国中ということもあり、その英語力を駆使してウイグル人代表者とのコミュニケーションを取って頂きました。彼女が居なければ大会の運営はもっと大変なものになったと思います。膨大な資料の翻訳もして下さいました。


彼女がウイグル支援を始めたのは、僕と同じく2005年で、その時には既にマレーシアに住んでいました。マレーシアから2ちゃんねるを見て、東トルキスタンで起きている人権・民族問題に気付き、その弾圧の実態を広めるためのウェブサイトを一緒に運営してきました。
http://saveeastturk.org/

彼女はマレーシアでサティ(串焼き)を焼いているということで、ハンドルネームはSATAYさんでした。
僕が日本語で書いた文章の大部分を、彼女が英語に翻訳してくれました。また彼女の旦那さんが一部をマレーシア語に翻訳してくださいました。
マレーシアでは中国批判が非常にやり辛いようですが、それでもなんとかして苦しんでいるムスリム同胞がいると伝えたくて、いろいろな方法で周知活動をしていたようです。

日本ウイグル協会が設立し、そして2009年の東トルキスタン共和国独立記念行事のときに、始めて彼女と顔を会わせることができました。この年から彼女は日本ウイグル協会の活動、特にその英語力を活かしての翻訳作業のお手伝いをしてくださいました。いつも急な依頼が多かったので、結構な無理をさせてしまったと反省しています。
日本ウイグル協会のスタッフの全員は、無償奉仕で熱心にボランティア活動をして下さいますが、彼女もそうでした。東トルキスタンの現地で起きていることに心を痛め、原文を読んで泣きながら文章を翻訳していた、本当に心の優しい方でした。

マレーシアに帰る時に、次に日本に来るときは旦那さんと一緒に来て下さい、と言ってお別れしました。彼女もマレーシアにもみんな来て下さいと言っていました。日本からのお土産として渡したのは夫婦箸で、彼女も旦那さんもとても喜んで下さいました。
子供が好きな方でしたので、近いうちに子供も授かれば良いなあと思っていましたが、本当に残念です。


彼女は純粋に、熱心にウイグルの解放を願って活動を続けてこられました。
僕個人が活動を続ける理由の一つに、鈴木さんの夢であった、ウイグルの解放を達成しなければならない、というものが加わったと思います。