アサヒのラビアさん関連記事

 
水谷さんの書かれた「中国を追われたウイグル人」を元にしてアムネスティの方が記事を書き、それを朝日が載せたようです。
あんだけの媚中マスゴミですが、ラビアさん来日も近づき、さすがに知らぬ振りをし続けられなくなったのでしょうか。

http://www.asahi.com/international/shien/TKY200710310119.html
 
ウイグル人の希望の星〜ラビア・カーディルさんの戦い
 
アムネスティ@中国・新疆ウイグル自治区
 
 13億の人口を抱え、目覚しい経済発展を続ける中国。北京五輪を来年に控え、世界中がその人権状況の改善に注目を向けていますが、いまのところ芳しい改善は見られていません。ジャーナリストの投獄、出版社の閉鎖など表現の自由に対する締め付けや、民族運動をする者、人権擁護活動家に対する逮捕・拷問・死刑も続いています。当然のように、国内でのアムネスティの活動は禁止され、調査活動も厳しい制限下で行なわれています。
 
 
■中国の人権状況に一石を投じ
 
 それでも、身の危険を顧みず、国内外から人権を守るための活動を続けている人びとがいます。亡命先の米国で中国の新疆ウイグル自治区の人権状況を世界中に伝え、改善を求める活動をしているラビア・カーディルさんもその1人です。行商から身を立て中国10大富豪の1人となり、中国共産党の要職を務めながらも6年間の投獄を経験…、こんな波乱万丈の人生を送ってきたラビア・カーディルさんは、現在、在外ウイグル人の統一組織「世界ウイグル会議」の主席を務め、少数民族ウイグル人の希望の星と呼ばれています。
 
 すべてを捨てて、民族のための活動に身を捧げるラビアさん。今回は、社会の変化に翻弄されながらも、中国の深刻な人権状況に一石を投じ続けてきた彼女のストーリーをお伝えします。
 
■父親仕込みの商才
 
 ラビアさんは、1948年に「新疆」の最北部、旧ソ連モンゴル国境にほど近いアルタイの商家に生まれました。堅実な商売をする父のもと、彼女は自然に商売のイロハを覚えていきましたが、15歳になる頃、家族は中国共産党により「資本家」のレッテルを張られてしまいます。一家は財産をすべて没収されたあげく、ラビアさんは母と兄弟とともに1,000kmも離れたタクラマカン砂漠に置き去りにされてしまいます。
 
 姉を頼ってたどり着いた同じ「新疆」のアクスの街で、ラビアさんは家族のために15歳で一回り年の離れた共産党幹部の男性と結婚し、6人の子どもをもうけました。
 
 生活費の足しにと始めたレース細工の小商いがあたり、夫の給料を遥かに超える金を稼ぐようになりましたが、これがまた「不法に商売をした資本主義の手先」として共産党にとがめられ、咎が及ぶことを恐れた夫から離婚されてしまいます。まだ20代だったラビアさんは、1人でまたゼロからやり直すことになったのです。
 
■ゼロからの再出発で中国10大富豪の1人に
 
 漢語が不自由な彼女に就職先はなく、すすんで人のいやがる洗濯屋を始めました。1日100枚もの服を洗濯板で洗い、公務員の月給が70元の時代に、3カ月で4,000元を稼ぎ出したラビアさんは、この元手を使って本格的に商売を始めました。荷車を自分で押して現金の流通していない農村に日用品を売りに行き、軽くて交換価値の高い羊の皮と交換。さらにそれを別の場所で絨毯と交換。78年に改革開放路線が始まると上海などにも仕入れに行きました。このような「循環商売」でさらに資金をかせぎ、次第に不動産、鉄鋼などへと商売を拡大していったのです。
 
 天性の商売の才能で苦境を乗り越えたラビアさんは、各地で商売をする中で「どうしてウイグル人は貧しく、漢民族は豊かで権力を持っているのか」ということに疑問を抱くようになりました。再婚した民族運動家の夫の影響もあり、次第に民族の権利を守るための政治運動に目覚めていったのです。
 
人民大会堂での演説
 
 巨額の富を手にしたラビアさんには、中国共産党からの誘いがかかり、トウ小平体制の政府で、人民代表や全国政治協商会議の委員など多くの役職につきました。彼女は機会をみつけては党中央の指導者たちに「新疆」の惨状を伝え、改善を求めましたがのれんに腕押し。民衆に人気のある彼女に対し、面とむかってはいい顔をする党中央の高級幹部たちも、中国のまさに暗部と言える少数民族の迫害・弾圧については、真剣に耳を貸そうとはしませんでした。
 
 ついに、一大決心をしたラビアさんは、党最高幹部の出席する政治通商会議の席上で、予定していた演説の原稿をすり替え、ウイグル人の人権問題についての演説を行ないました。江沢民国家主席李鵬首相(当時)や現国家主席胡錦濤らの出席する北京人民大会堂での会議でした。
 
■すべての地位を奪われ投獄
 
 ほどなくして、予想通りすべての役職を解かれたラビアさんは、パスポートを没収され、行動の自由を制限されました。それでも彼女は、海外に「新疆」の人権状況を伝える活動を続けました。99年、ついにウルムチを訪問していた米国議会代表団にウイグル人に対する人権侵害の報告書を届ける途中で逮捕されてしまいます。政治犯の死刑や獄中死も多い中国で、ラビアさんは8年の刑を言い渡されたのでした。
 
ウイグル人に対する差別と抑圧
 
 ラビアさんの出身地、新彊ウイグル自治区では、中央政府が政策的に漢民族を移住させた結果、かつて5%程度だった漢民族人口は現在50%を超えるまでになり、自治政府当局によるウイグル人社会への締め付けは激しさを増しています。
 
 イスラム教を信仰するウイグル人に対し、非公認のモスクを閉鎖させるなど宗教の自由を侵害したり、母語であるウイグル語での教育や出版の制限するなど、基本的な人権が侵害されています。また中央政府は、国際的な「テロとの戦い」を口実に、平和的な抗議行動をする者や民族の権利を主張する者を「テロリスト」「分離主義者」として逮捕し、数千人の政治囚が監獄に入れられています。不当な裁判で死刑にされた人も少なくありません。このような状況に絶望して国外へ逃れる人も多くなっています。
 
 近年、漢民族の移住や中央からの投資によって地域の経済は活性化していますが、漢民族ウイグル人の経済格差はどんどん広がるばかりです。このような状況に心を痛めたラビアさんは、店舗を持てず露天を営むウイグル人たちのためにテナントビルを提供したり、さまざまな慈善活動を行なっていました。
 
■千の母親運動
 
 なかでも、「千の母親運動」というマイクロ・クレジットの活動は、経済力の最も弱いウイグル人の家庭の主婦に希望を与えました。貧しい母親たちから小さな事業のアイデアを出してもらい投資することで、「新疆」に新しい産業の種をまき、女性に経済力を持たせようというものです。最初の募集では200人、2回目は3,000人のウイグル人女性から応募がありました。
 
 ところが彼女たちの事業が発展し、投資資金を回収できるようになったころ、この運動は共産党の圧力によりつぶされてしまいました。
 
■おまえの国を独立させる英雄の最後の姿はこうだ
 
 獄中でラビアさんは、肉体的な拷問こそ受けなかったものの、それ以上につらい精神的な拷問に耐えなければなりませんでした。それは、隣の部屋で行なわれる拷問のうめき声や叫び声を聞かせる、目の前で同じウイグル人の政治囚を死ぬまで暴行し続け、その姿を見せる、などでした。日の光のまったく入らない独房に2年間も閉じ込められたこともありました。
 
 ラビアさんが言葉を交わした1人の若い政治囚は、拷問に耐えながら、「私はウイグル民族のため、母のために自分を犠牲にしようとここへ来た。なぜあなたがここにいるのか」と言って意識を失いました。彼に拷問を加えていた公安の人間は「おまえの国を独立させてくれる英雄の最後の姿はこうだ」と言ったそうです。
 
■亡命先の米国でも活動を再開
 
 逮捕から6年目の2005年、夜中に突然たたき起こされたラビアさんは、どこに行くのかも知らされないまま、飛行機で北京に連れて行かれ、米国大使館に身柄を引き渡されました。中国政府は、国連や欧米各国の議会、在米ウイグル人協会やアムネスティ・インターナショナルなどの人権団体の圧力によって、ラビアさんを釈放し、米国に亡命させたのでした。
 
 米国に保護されてから、ラビアさんは民族運動を続けるべきかどうか悩みました。運動を続ければ、中国に残った子どもたちが人質のように監視され、嫌がらせを受け続けることになります。息子だけでなくその嫁や孫までもパスポートを没収されていました。
 
 しかし、海外在住のウイグル人の中から、チベットダライ・ラマのような象徴のいないウイグル人の組織に、運動の求心力となるリーダーとして参加して欲しいという声が高まっていました。そして、これまでウイグル人の人権問題について声を上げてきたドイツの「世界ウイグル人会議」のメンバーとも直接話し合い、ウイグル人をひとつにまとめ、民族のための活動を続けていくことを決意したのでした。
 
 現在ラビアさんは、在米ウイグル人たちの寄付によってワシントンに事務所を構え、「世界ウイグル会議」主席としての仕事を忙しくこなしています。2005年秋には、アムネスティ・インターナショナルとともにヨーロッパの9カ国を回り、獄中体験を話しながらウイグルの人権状況を訴えてきました。すべてのウイグル人が釈放され、民族が自由を取り戻すまで、彼女の戦いは続きます。
 
*参考文献:「中国を追われたウイグル人水谷尚子・著(文春新書)
 
アムネスティ・インターナショナル日本 広報担当 野田 幸江)

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