日本で亡くなった東トルキスタン共和国亡命者

 
世界ウイグル会議副総裁のセイットさんが17日昼にトルコに帰られました。
日本での世界ウイグル会議の活動を推進する上での環境整備のために来られたのが主な目的でしたが、日本人の支援者の方々と会ったり、政治家の方々と会ったりと、かなり濃密な一週間だったようです。政治家との会談については、ある程度新聞にも載っているようです。言っても良いと許可をもらえたら、誰と何時会ったかを書きたいと思います。
 
安倍前首相 世界ウイグル会議副総裁と会談
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080616/stt0806162043004-n1.htm
 
日本ウイグル協会や、日本代表イリハム氏についてはきちんと説明されて帰られましたが、日本の中でどうも良く分からん状況になっているので、後で確認取れ次第きちんと書きたいと思います。
25日の世界ウイグル会議主催の同日開催デモは予定通りです。ドルクンさんやセイットさんから日本でも行なうようにと、イリハムさんに指示が来てから計画を立てたものなので、これはきちんと成功させたいと思います。
 
 
セイットさん帰国の日の早朝に、多磨霊園の外人墓地に葬られている、東トルキスタンイスラム共和国の亡命者達の墓参りに行ってきました。
東トルキスタンイスラム共和国は1933年にカシュガルを中心に建国された第一次東トルキスタン共和国で、出来てすぐに滅びてしまいます。この頃は日本も新疆に関心を持っていたようで、東トルキスタン共和国の要職にあったマフムード・ムヒーティー一行が一旦亡命した後に、来日されています。
で、日本で葬られているのはこのときの一員で、マフムード・ムヒーティーの兄であるムスル・ハジ・ムヒーティーと、トフタバイです。彼らの墓石にはEastern Turkestan、Dogu Turkistanで生まれ、東京で亡くなったと書かれています。更にもう一つ日本で生まれて亡くなった子供のお墓もありました。
日本と東トルキスタンのつながりを確認し、セイットさんがムスル・ハジ・ムヒーティーの墓の前でコーランの一節を読んで追悼しました。その後日本、トルコ、東トルキスタンの3つの国の旗を並べて記念撮影をしました。この3つの旗はイリハムさんが受け取り、いずれ出来るであろう事務所に飾るために大切に保管する、ということでした。
その後成田に向かい、昼ごとの飛行機でトルコに帰られました。日本の寿司は旨いとのことでしたので、最後のご飯は寿司でした。さび入りのネタの上に更にわさびを大量に載せ、頭を抱えて悶えるお茶目な副総裁でした。写真を撮るのを忘れていたのが残念です。
 
以下、墓参りの様子と、帰国の様子です。

 
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