世界ウイグル会議副主席来日

世界ウイグル会議副主席のセイット・トムトルコ氏が6月10日に来日されました。1週間ちょっと滞在の予定だそうです。
来日の目的は、日本での世界ウイグル会議の活動を本格化するための準備ということですが、政治家やマスコミなどともお会いされる予定です。
 
来日された日の夜に少人数で集まり、セイット氏の歓迎会を行ないました。
世界ウイグル会議副主席のセイット氏は、トルコのカイセリというところで「東トルキスタン文化と協力協会」という組織でも会長を務めておられます。
彼の生い立ちや、トルコのカイセリの組織の活動についてなど、とても重要な話が聞けました。以下まとめてみました。
 
 
1949年中共東トルキスタンに入ってきたときに、カシュガル、ヤルカンド、グルジャの文化人らのグループ350組の家族が1961年に一家総出で国外に脱出した。私はその中の一つの家族の許で1964年に生まれた。
350組の家族は、東トルキスタンを出るときに、その地の人々に対して、東トルキスタンで起きていることを世界に知らせると約束してきた。 1962年に脱出先のアフガニスタンで国外への亡命者による最初の東トルキスタンの組織が作られたが、そのときのリーダーが私の父セイット・アブドゥベリであった。
組織が出来てから活動を開始し、国連難民委員会などに対して働きかけをした。
1961年に脱出したときには、自分達は外国人であると言って出ることができたのだが、1962年からの活動が始まったことで、中国がその脱出した350組の人間は外国人ではなくウイグル人であると知り、アフガニスタン政府に対し彼らを引渡すよう要求した。アフガニスタンはそれ程強い国ではなかったが、中国に対して引渡しの要求を毅然と跳ね除けた。
国連難民委員会がウイグルの人権問題をはっきりと認識したことで、欧米やアラブ諸国などが亡命ウイグル人らの受け入れを表明した。このセイットさんらのグループは、テュルク系の民族の国で一番力を持つトルコに行くことを申請した。トルコ政府は彼らを受け入れたばかりでなく、ウイグル人は自分達の兄弟民族であるとして、カイセリの町の一地区を与えてくれ、一家族ごとに資金の援助をしてくれた。ウイグル人が集まったその地区は東トルキスタン町という名前が付けられた。
アフガニスタンで立ち上げた非公式の組織は、1971年にトルコで正式な組織「東トルキスタン青年協会」となり、民主的な選挙によってリーダーが選ばれるようになった。このカイセリの組織が、世界中にある東トルキスタン組織で指導者となっている人々を育成、教育した。ここで育った者らがイスタンブールアンカラで組織を作り、更にトルコから出てドイツで組織を作った。

現在のカイセリの組織は、14年前からkok bayrak(青い旗=東トルキスタン国旗)という名前の東トルキスタンの現状を知らせる雑誌を発行している。また現在は東トルキスタンから脱出してくるウイグル人達の亡命申請や支援を、我々の組織が行なっている。昨年までで700人(この2〜3年とも訳していたので不確か。後で直します。)のパスポートを持っていないウイグル人たちのトルコ国籍を取得し仕事を探した。
私はトルコ政府に対して大変感謝している。ここまでやってくれる国は、兄弟民族の国であるトルコだけである。これからやることは、トルコ国内に分散して住んでいるこの700人を3〜4地区に集住させ、東トルキスタンの運動の核としていきたい。それから7000万人のトルコ人に対し、東トルキスタンは同じ民族であり、テュルク民族発祥の地であることを広め、トルコ人自身の問題であるということを認識させたい。
既にトルコの人々は動いてくれており、ウイグル人50人がデモをするときには、トルコ人は100人参加してくれる。
そして第2のトルコとなるのは、日本であると思っている。私は世界各国を巡っているが、このような会を開いて大歓迎してくれたのは日本だけだ。まだ日本での活動は始まったばかりだが、これは東トルキスタンにとっても日本にとっても大きなことを始めるための最初の一歩であると考えている。

中国は既に昔のような貧しく弱い国ではない。あれだけウイグル人を厳しく見張っている国の中からどうしてテロリストが生まれるのか。彼らにはたくさんの人口がいるのだから、自分達で演じてテロリストを作り出すこともできる。

我々はカイセリで東トルキスタンの宣伝も兼ねて展覧会を行なうことにしたが、その時に中国政府も中国の展覧会を行ないたいと申請してきた。一つの組織の活動に対して、一つの国が対抗してきたのである。東トルキスタンの弾圧の事実を知らせることに対し、圧力をかけるつもりであったのだろう。我々はカイセリ政府に対し、中国のこのようなやり方を非難したが、それによってカイセリ政府は中国の展覧会開催を辞めさせた。
中国の大使はトルコの中でも特にカイセリに6回も訪問をしている。私はカイセリ政府に対して、あの人物はあなたの兄弟を殺した国の役人だ、と言ったところ、当日に会う予定であったにも関わらずキャンセルしてくれた。これで中国の大使は大いに面目を失っただろう。
 
 
この話の後に、世界ウイグル会議についてもお話されました。この部分だけをyoutubeにうpしました。
 
 
 
パート1 

 
パート2   http://jp.youtube.com/watch?v=QXd5qLwQvjY

パート3   http://jp.youtube.com/watch?v=_Lh_buEaFz4
 
 
アフガニスタン〜トルコへの亡命と、それぞれの地での活動のお話にあったように、アフガニスタン政府やトルコ政府の中国政府に対しての毅然とした対応は、これが本来の主権国家のあり方なんだろうなと思いました。そしてトルコ政府の東トルキスタン難民に対しての支援の姿勢は、政治の世界では中国への配慮が見られるものの、やはり兄弟国としての思い入れもあるのだなと確認できました。これから更に活動を活発に行い、トルコ国民の関心を高めようとされています。頑張ってください。

ところで東トルキスタンにとって、日本が第2のトルコというのは、リップサービスもあるのでしょうけれども、それでも日本人の支援者と会ってお話されている様子からは、本当に嬉しい、感謝している、という気持ちが伝わってきました。しかし、迎えた東トルキスタン支援者の日本人を見て、日本に期待したとしても、日本国の政府の対応を見ていけば失望させられるばかりではないかと思います。カイセリという一地方の行政ですら、中国に対してやるべきことをやっているのですから。

 
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