アーファンティ

 

教育出版の小学4年国語下に「アーファンティ物語」というウイグルの民話が載っています。とはいっても、中国民話という扱いになっています。
 
アーファンティとは中国語読みで、ウイグルの人はアペンディと言います。
アペンディの民話は広くアラビア諸国から中近東に広まっており、トンチで金持ちや知事をからかう話が多いようです。ちょうど日本の「一休さん」と似たようなものらしいです。
 
「アーファンティの世界」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~e-china/aafanti/
のサイトにたくさん話が載っています。
 
例えば次のような話がありますが、これって中学校の国語で「附子(ぶす)」という狂言として習いましたよね。シルクロードを伝わってきたんでしょうか。そういや新疆でも「一休さん」のアニメが大人気だそうです。シルクロードを日本のトンチ小僧が遡っていったんですね。
 

8.毒薬

 アーファンティが、ある官僚の家でアルバイトをしていたころの話。

 ある日、主人である官僚が、高価なはちみつをお湯で溶いて飲もうとしていました。ところが、急用ができて、出かけなくてはならなくなりました。

「アーファンティ。私は今すぐ出かけなくてはならなくなった。カップに入っている液体は毒だから、絶対に口をつけないようにな」と言って出かけていきました。

 官僚が出かけてしまったのを見届けて、アーファンティは蜂蜜ドリンクを飲み干して、テーブルの上にあった、官僚がとても大切にしていた花瓶を床に落として割りました。

 しばらくして官僚が家に戻って来ました。蜂蜜ドリンクがなくなっているだけでなく、大事にしていた花瓶が壊れているのを見て
「いったい、どうしたというんだね!」

「はい、本当になんと申し上げていいやら。実は、掃除をしているときに、うっかりして花瓶を落として割ってしまったんです。それで、あなたに申し訳なくて自殺するしかないと思い、毒を全部飲み干しました。でも、なぜか死ねずに今になってしまいました」

 
 
富豪を意味する言葉をウイグルでは「バイ」といいますが、アペンディがよくからかう相手がバイです。
 
ちなみに、1933年の東トルキスタンイスラム共和国が成立したのは、新式教育(ジャディード)を受けたイスラム知識人によるところが大きいのですが、このイスラム知識人の育成に大きな貢献をしたのが、ムーサー家というバイです。ロシア語読みで、ムーサーバヨフとも呼ばれています。
当時の東トルキスタンは、漢語学校による中国化が推進されていたので、これに危機感を抱いたムーサーバヨフをはじめとした当地の有力者達は、若者をジャディード運動の先進地であるロシア・クリミアやトルコに留学させ、あるいはそこからの教師を招聘しました。
ジャディード運動は、伝統的なイスラム社会の教育システムを批判し、もっと近代的・実用的な教育が必要であると説き、イスラムの基本的な知識と共に、四則演算や読み書きなども教育しました。
汎テュルクや汎イスラム的傾向が強い運動であったようで、これが東トルキスタン共和国の建国へとつながっていきました。
 
 
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