チベットでの暴動

チベットで起きている動乱ですが、89年以来の大規模なものだそうですね。
ところでメディアの記事を見ていると、「チベット人が多く住む青海省四川省雲南省などにも飛び火する恐れ」というような書き方が多く、非常に違和感を感じます。「チベット人が多く住む」のは当たり前で、もともとチベットであった国土が勝手に別の省に改名&併合されただけなんですから。
チベットというのが現在のチベット自治区のことだと認識する御仁が多いようですが、そもそもは中国共産党によって分割された一部分だけがチベット自治区になったんです。一部分:面積にして半分以下、人口にして三分の一程度が現在のチベット自治区です。
チベットはウ・ツァン、カム、アムドと3つの地方で構成されていたのですが、ウ・ツァンがチベット自治区になり、アムドのほぼ全域が青海省と改称され、カムが四川省雲南省へ併合されています。
 
また、中国政府によって勝手に認定された活仏パンチェン・ラマ11世が非難声明を出していますが、この白々しい演出も本当に腹立たしいものです。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2008031600113
チベット仏教の正式な認定による本物のパンチェン・ラマ11世であるニマ少年は、パンチェン・ラマ認定直後6歳で中国政府によって連行されています。今でも行方が分かっておりません。
ダライ・ラマ14世が亡くなったときには同じような問題が起こるでしょう。だからダライ・ラマ14世は今のうちに、次のダライ・ラマは中国支配地域以外に転生すると宣言している訳です。
ちなみに、チベットの歴史上、時の権力者による勝手なダライ・ラマ認定が行われたことがありますが、このときには民衆からの支持が全く得られなかったとのことです。歴史に学ばない、宗教的教義を完全に無視する中国の横暴さがよくわかります。
 
 
 
で、ここからはチベット仏教東トルキスタンに関連することを少し書きたいと思います。東トルキスタンに比べ、チベットに関する情報は得やすいですからね。
といいつつ、東トルキスタンという枠で扱うと、チベット仏教そのものではなくオイラトについても取り上げることになり、書き進めるうちに、むしろオイラトに関しての文章ばかりになってしまいました。ご了承くださいw
 
東トルキスタンといえば、テュルク系民族イスラム教の土地というのが一般的です。でも、テュルク化以前はコーカソイドが定住していましたし、イスラム化以前は仏教・マニ教ゾロアスター教などが信仰されていました。またテュルクの土地「トルキスタン」になった後も、モンゴル系王朝〜清朝による支配やチベット仏教の広がりなどがありました。
モンゴル帝国が分裂し、この一帯がチャガタイ・ハン国となった後、東半部はモグーリスタン・ハン国となり、南下してヤルカンド・ハン国となりますが、これらチャガタイ・ハンから続くモンゴル系の民族は支配者であったにも関わらず言語的にはテュルク化し、宗教的にはイスラム化していきます。
その後、西モンゴル族とも言われるオイラトらによる支配が始まります。実際には東モンゴル族タタール〜ハルハ)らとの抗争があった後にオイラトとして独立するのですが、ここでは詳しくは触れません。オイラトはいくつかの部族に分かれていてそれぞれの間で内紛を続け、その中のホショト部のグシ・ハンがチベット全土を広く支配しました。彼はチベット仏教ダライ・ラマの宗派であるゲルク派に帰依しており、自身が支配したチベットの征服地をダライ・ラマに寄進し、代わりにハンの称号をダライ・ラマから授けられるという手続きを経て、ハンを名乗るようになりました。オイラトはチンギス・ハンの直系の子孫ではないので、ハンを名乗ることがはばかられていたわけですが、チベット仏教の権威によりハンを名乗ることができるようになったということでしょう。
そしてこのグシ・ハンの支配したグシ・ハン王朝の領域が、本来あるべきチベット国家の領域であると、チベット亡命政府は主張しているわけです。
 
さて、このときにはホショト部の配下にあって、ジュンガル盆地の統治をまかされていたオイラトの一部族ジュンガル部が、内紛を経てオイラトの支配者になります。このときのジュンガルのリーダーがガルダンで、彼はチベット仏教の活仏としてダライ・ラマ5世のもとで修行しておりましたが、還俗して内乱を治めオイラトの支配者になりました。オイラトのリーダーとなったガルダンもチベット仏教の守護者として、ダライ・ラマからハンの称号を与えられ、東トルキスタン全域からモンゴル高原西部にわたるジュンガル大帝国を築き上げました。
のちにジュンガル帝国清朝との間の全面戦争に破れ、ジュンガル帝国チベットのグシ・ハン王朝は解体され、清朝の支配体制に組み込まれることになります。この清朝との大戦争と、このときに清軍がもたらした天然痘とによって、ジュンガルはほとんど全滅します。とはいっても現在でも東トルキスタンチベットにはオイラトの末裔が、他文化や他言語に同化しつつも「蒙古族」として生活しております。またジュンガル壊滅でできた権力の空白を見て、それまでオイラトの内紛を逃れてカスピ海沿岸に住んでいたトルグート部が大挙帰還し、彼らもまた東トルキスタンで生活しております。
 
オイラトについては別民族とみなしても良いと思うのですが、中国政府による民族識別工作で「蒙古族」として、ハルハらと同じ民族として扱われている状態にあります。チベットにいるオイラトチベット社会へと同化が進んでおり、東トルキスタンオイラトウイグルや漢族、カザフなどとの混交が進んでいるとのことです。
漢族への同化という問題以前に、オイラト独自のアイデンティティを維持していくのは難しいと思われます。また、オイラト独自の文字としてトド文字が使われていたのですが、最近では内モンゴルのモンゴル人との民族意識の一体化が進み、モンゴル文字が使われるようになっているのだそうです。彼らは今もチベット仏教を信奉しておりますが、その宗教的文化などについてはそのうちに調べてみたいと思います。
また、中国以外の国におけるオイラトは、モンゴルでは少数民族「西モンゴル人」となっておりますし、ロシアのカスピ海沿岸に居残ったトルグートは、カルムイク共和国を形成しています。
 

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