今回のチベットでの衝突の発端は?

毎日新聞チベットの事件から中国政府の抱える少数民族問題についての記事を書いています。

http://mainichi.jp/select/world/news/20080318ddm007030045000c.html

チベット暴動:他民族に波及懸念 中国政府、五輪控え神経戦
 
【北京・浦松丈二】中国チベット自治区ラサの暴動が各地に広がったことで、中国政府は北京五輪に向け、イスラム少数民族の分離・独立を抱える新疆ウイグル自治区など他民族に飛び火することを懸念している。
 「北京五輪聖火ランナーとして新疆ウイグル自治区を走ることになったが、五輪を失敗させようとするイスラム過激派から狙われないだろうか」。聖火ランナーに選ばれた中国大手家電の社員が不安をもらした。
 昨年11月、新疆ウイグル自治区の地裁で、急進派独立組織「東トルキスタン・イスラム運動」(ETIM)メンバー3人が武器を所持していた罪などで死刑判決を言い渡された。中国政府は近年、チベット族よりもウイグル族の動向を警戒してきた。01年9月の米同時多発テロ後、ETIMは中国政府だけでなく米国からも「テロ組織」に認定されており、米国議会など欧米社会に支持基盤を持つチベット族とは事情が異なる。しかし、国際社会が注目する北京五輪が民族の主張をアピールする舞台になることでは同じだろう。
 台湾紙「中国時報」などによると、中国公安省は昨年4月に五輪参加者の「背景審査」を厳格に行うよう内部通達を出した。通達は少数民族の独立勢力や気功集団「法輪功」など11類43種に入る人物の大会参加を禁じているという。
 しかし、広大な中国全土を継いで走る聖火ランナーや競技施設、交通機関など五輪関連の警備対象は多岐にわたる。今月22日の台湾総統選挙や民主化を求める学生らを武力鎮圧した89年6月4日の天安門事件など注目される記念日もある。
 中国国営・新華社通信は17日、ラサ暴動の背景記事で「昨年、欧州を訪問したダライ(ラマ14世)は『08年は鍵となる年だ。五輪はチベット人にとって最後のチャンスとなるかもしれない』とチベット問題と五輪を結び付けるよう呼びかけた」と批判した。中国当局は五輪本番まで内外の「不満分子」との神経戦を強いられそうだ。
 
 ◇経済発展で融和手法行き詰まり
 中国には55の少数民族が存在しているが、人口は合わせても1億643万人(00年統計)で、全体の8・41%に過ぎない。9割以上を占める漢族との摩擦を回避し、民族融和を進めるため、中国政府は経済発展を最重要課題としてきたが、チベット自治区での暴動は、そうした手法の行き詰まりを示している。
 少数民族の居住地は国境地帯が多く、中国政府は国防上の観点から分離・独立運動を厳しく取り締まってきた。天然ガス希少金属など豊富な資源が埋蔵されていることも少数民族地域を重視する要因とみられる。中国政府は各自治区の実権を握りながら、地域振興と独立運動の取り締まりという「アメとムチ」を使い分けてきた。
 積極的な外資導入で経済発展を遂げた沿海部と、少数民族地域の多い内陸部との格差が広がると、中国政府は00年に「西部大開発」戦略を掲げた。
 代表的なプロジェクトが、総工費約331億元(約4600億円)を投じた青蔵鉄道(ゴルムド−ラサ)だ。06年7月の開通以来、同自治区は観光ブームに沸いた。その他の振興策も呼び水となり、昨年の域内総生産は342億元と02年から倍増、7年連続で12%の成長率を維持した。
 北京で開かれている全国人民代表大会で、同自治区代表団は今月5日、「発展と安定は歴史上で最良の時期」との認識で一致した。翌6日には、89年の暴動で戒厳令を敷いた時の自治区トップだった胡錦濤国家主席自治区代表団との会合で、「民生を改善し、民族工作を強めて全力で社会の安定を守るように」と呼びかけた。
 しかし、経済発展の恩恵は漢族資本に集中し、チベット族は発展から取り残されているとも指摘されている。一部の既得権益者に富が集中する構図は中国全土に共通しているが、少数民族地域では漢族と他の民族との格差拡大につながる。
 ラサを中心に進む漢族化へのチベット族の反発も根強い。同じように海外の独立支援組織があるウイグル族も共通する問題に直面しており、両地域にくすぶる不満は独立派を勢いづかせる素地となっている。【成沢健一】

後半部について、毎日新聞にしてはなかなか良いと思いました。
青蔵鉄道西部大開発などが、内陸部の少数民族の経済発展のためであるとされているものの、

>しかし、経済発展の恩恵は漢族資本に集中し、チベット族は発展から取り残されているとも指摘されている。
>一部の既得権益者に富が集中する構図は中国全土に共通しているが、少数民族地域では漢族と他の民族との格差拡大につながる。

ときちんと書いてあります。ただ、少数民族の問題は経済的な格差の問題だけではないわけで、物足りない分析になっています。最後の最後で、「ラサを中心に進む漢族化」と書いていますが、この文章だけを孤立して書いているのでは、「漢族化」=「経済的な統合」と読み違えてしまうんではないでしょうか。言語的同化政策や宗教活動への抑圧、漢族大量移住による人口比率低下などが、経済的な問題よりももっと語るべきことだと思います。青蔵鉄道を書いておきながら、観光ブームと地域振興といった経済的な事柄だけで言葉を留めてしまっているのが残念です。
東トルキスタンでも10年ほど前にカシュガルまで鉄道が延びましたが、それ以降カシュガル市内での漢化がより早い速度で進んでいるようです。みんな豊かになったと喜ぶウイグル人もいるのですが、それよりも再開発の名のもとにウイグルの心の故郷ともいえるカシュガルの古い町並みや壮麗な空間が消えてしまうことを嘆く人が多いのです。カシュガル中心部にあるエイティガール寺院前の広場には、エイティガール寺院よりも目立つ大きく派手なデパートが並んでいます。
 
で、チベットで起きた事件の背景は経済的格差にあると言いたげな毎日ですが、
「発端はどこに」とのタイトルで産経が記事を書いています。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080317/chn0803172043017-n1.htm
混迷チベット 騒乱の発端はどこに
 
 中国西部のチベット自治区ラサで起きた大規模騒乱は自治区周辺にも拡大し、チベット族反中感情がいかに強く、広範囲に存在するかを示すものとなった。これほどの大規模な騒乱は1989年以来。今回の事件の発端はどこにあったのか。
(宮下日出男)
 10日、ラサでは僧侶約300人による抗議行動が発生した。この日は59年にチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世がインドに亡命することになった「チベット動乱」から49年という、チベット人にとって重要な日にあたる。ダライ・ラマは同日、亡命先のインド北部ダラムサラで演説を行い、チベット人の窮状を訴えていた。
 ダラムサラからは僧侶ら約100人が抗議のため、チベット自治区に向けて出発。ネパールの首都カトマンズではチベット人約1000人が中国大使館に向ってデモ行進するなど、チベット問題を訴える動きが歩調を合わせるかのように相次いだ。チベット自治区を目指したデモ参加者は13日、インドの警察に逮捕された。
 ラサでの抗議活動がこうした一連の動きと連動していたかどうかは不明だが、ラサでの抗議活動が表面化したのは翌11日だった。中国当局に拘束中の別の僧侶らの解放を求めてデモを行った僧侶のうち、50〜60人が逮捕されたと米政府系放送局「ラジオ自由アジア」が報じた。
 デモはその後も続く。11日には3大寺院のひとつであるセラ寺の僧侶約600人が抗議活動に参加した。これに3大寺院のひとつ、ガンデン寺の僧侶らが加わり、デモが拡大の様相を呈する中、警察側は催涙弾を使うなどの対応に乗り出した。米国に拠点を置くチベット人の支援団体「インターナショナル・キャンペーン・フォー・チベット」はラサに戒厳令が出された89年の騒乱以来、「最大のデモだ」とする声明を発表した。
 ロイター通信はさらに13日、人権団体の話として10日、自治区に隣接する青海省でも僧侶約400人がダライ・ラマの帰還を求めるデモが発生したことを報道、同省の東隣の甘粛省でも約100人の僧侶による抗議活動があったと伝えた。関係者によるとチベット族の居住地区では比較的早い段階で抗議活動が起こっていたという。
 14日、ラサを取り巻く緊張感は一気に高まる。抗議行動はデモ隊による車両への放火などの暴動に発展し、デモ隊に警察が発砲して2人が死亡した。これを契機に騒乱は青海や甘粛、四川各省の自治区周辺にも波及、デモ隊と警察隊が激しく衝突した。
 17日付の中国国営新華社通信では、デモを行ったのはラサの3大寺院のひとつのデプン寺の僧侶らで、政府関係者を殴打したことから、衝突が起きたとしている。しかし、詳しい状況は不明だ。
 新華社通信は17日、ダライ・ラマ14世が「2008年はカギとなる年だ。北京五輪チベットの最後のチャンスとなる」と述べた発言が一般群衆を扇動するきっかけとなったと伝えた。しかし、ダライ・ラマ側はダライ・ラマ派による「陰謀説」を強く否定している。
 中国政府はダライ・ラマ一派の策動と決めつけ、その構図を定着させようとしている。しかし、各地でいっせいに噴き出した抗議活動は、中国政府に抑圧され、このままでは「民族自決」を求める運動が力を失ってしまうという危機感を表れだとみる声が強い。

これまで起きてきた出来事、今回の騒乱の概況、亡命政府による陰謀説を定着させようとする中国、という流れは分かりやすいのですが、なぜ起きたのかについては中国側の発表「デプン寺の僧侶が政府関係者を殴ったから」だけで、あとは不明とのことです。まあ中国側の発表を真に受ける人なんていないだろうということで、詳細は追ってということなんでしょう。
 
で、ことの発端についてもう少し詳しく書いたのがNew York Timesです。

http://www.nytimes.com/2008/03/14/world/asia/14china.html
(一部抜粋)
抗議デモのニュースは中国のニュースメディアによって検閲されている。そして、北京は外国のジャーナリストが許可なくラサへ入ることを許していない。
しかし、チベットの活動家グループやアメリカのラジオフリーアジアや、観光客によってインターネット上に投稿された記事からは、抗議デモがチベット仏教で最も有名な3つの寺院から発生したことを示唆している。
チベットの亡命者らと情報交換しているコロンビア大学チベット専門家であるロバート・バーネットは、およそ400人の僧侶がデプン寺ラテリン学堂から西へ5マイルにある町の中心部へ向けデモを行った月曜日(3月10日)に最初の事件が起こったと言った。
警察がその中間点でデモ行進を止め、50〜60人の僧侶を逮捕した。しかし残りの僧らが座り込みのストライキを行い、更にデプン寺から100人の僧侶が参加したという。
彼らは寺院での宗教的な制約の改善を求めていた。これは、中国政府が行っている「愛国教育」:政府のプロパガンダを勉強しダライ・ラマを公然と非難する文書を書くこと、を緩和するよう求めたものである。火曜の朝に、デプン寺の僧らは学堂へ戻ることに同意した。
しかしもう一つの抗議デモが、ジョカン寺(チベットで最も神聖な寺院)の外側で起き、都市の中心部に向けて進行中であった。セラ僧院からの10数人の僧侶が独立要求のデモを行い、チベットの旗を振ったが、この僧侶らは警官に逮捕された。外国の観光客は、警察が見物人を追い払っている様子をインターネットに投稿した。この逮捕は火曜日のもう一つの抗議デモを誘発した。ジョカン寺から2マイル北にあるセラ寺からは500〜600人の僧侶が出てきた、と目撃者は語っている。彼らは、彼らの仲間の僧侶の釈放を求めスローガンを叫んでいた。「我々の身内を解放せよ、それまでは我々は戻らない!」と僧侶らが繰り返していたとラジオフリーアジアが報告している。「我々は独立したチベットを求める!」
警官が群集を分散させるために催涙ガスを発射したと目撃者は言っている。抗議デモについてはガンデン寺(ラサから35マイル東)で水曜日に報告された。ラジオフリーアジアは木曜日にデプン寺の2人の僧が自殺未遂をしたと報告している。
抗議デモはダライラマがインドへ亡命せざるを得なくなった1959年のチベット反乱(ラサ蜂起)の49回目の記念日と時期を合わせて行われた。バーネット氏は1989年に起きたデプン寺とセラ寺の僧侶らと中国治安部隊の血なまぐさい衝突が起きて以来の、ラサで最も大きい抗議デモであると言った。

 
最初のデプン寺で起きたものは、僧侶に対して行われている「愛国教育」をやめてもらいたいという要求から始まったもののようです。このときには50〜60人逮捕で400〜500人の参加者。
政府の主張を勉強し、ダライ・ラマを非難するという、受け入れがたいことを受け入れなければ、彼らは僧籍を剥奪されます。東トルキスタンイスラム指導者らにもこれと同じようなことが行われています。
それからセラ僧院の僧侶らがチベットの旗を振って逮捕→逮捕者の解放要求で600人集合となったようです。
 
真相解明には国外からの人権団体や国連などによる調査が必須だと思われますが、中国側は断固拒否の姿勢を崩していません。
 

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