イェンギイェル郷での家宅捜索

グルジャ(イリ)近くのイェンギイェル郷で家宅捜索が行われ、数人が拘留されたようです。
RFAが報道しました。
以下一部だけ翻訳。

http://www.rfa.org/english/news/2008/04/02/uyghur_raids/
グルジャ市(中国語でイリ)の近くのイェンギイェル郷の当局がウイグル人の四世帯の家宅捜索を行い、数人を拘留したという情報がRFAに入った。
警察は一軒の家の庭を掘り起こし証拠物を探したものの見つからなかった。
グルジャの警察は、新疆の高官の命令による秘密の活動がここ数日に行われたことを認めたものの、詳細は言わなかった。イェンギイェル郷警察局の警官は、「残念ながら、私達は上の許可を得ずにこのことを話すことができない。あなたの電話番号を残していっても良い。」と言った。
グルジャ市の当直の警官は、そのことは機密事項であると言った。「我々はこのことを話すことができない。機密事項だ。我々の局の仲間の警官の中にさえ、このことを知らない者がいる。この敏感な問題について電話で話すことはできない。」「もしあなたが詳細を知りたいなら、新疆ウイグル自治区警察局を尋ねなければならない。命令を受けているので、私はあなたにこのオペレーションのコードネームを教えることはできない。機密事項だ。」と彼は付け加えた。
イェンギイェル郷のアラマトゥヤ村在住の漢人は、近所の少なくとも一軒の家が警察によって捜索されたと言った。「ウイグル人がトラブルを起こしていたので・・・彼らは家に爆薬を持っていた。」と彼はRFA中国に話した。
「多分、誰かがそれを密告したのだろう。」と彼は言った。そしてウイグル人チベットの騒乱に影響され、1990年代に中国治安部隊によって情け容赦なく鎮圧されたグルジャの騒乱を連想させたと思う、と彼は付け加えた。
「目撃者らは、10数人以上が連行されたと言っている・・・彼らは全員同じ家に隠れていた・・・一昨日もしくはその前日でした。」タン(Tang)という姓の男が言った。「その家族は村の第2単位に属している。」
もう一人のイェンギイェルの住人は、「私はそれがテロリストであると聞いていた。しかしはっきりとは分からない。」と言った。

この家宅捜索は、ホータンで行われた数百人の抗議行動から1週間後に行われた。

 
 
連行された人々が本当に蜂起を企てていたのかどうか、爆薬を持っていたという村人の証言はあまり当てにはならないと思います。警察が庭を掘り起こしても証拠物を見つけることができなかったようですから。
ただ、連行された十数人の全員が一軒の家に隠れていて、近所とトラブルを起こしていた、ということから不満を持っていた人たちが集まっていたことはあったのかもしれません。
グルジャは1944年建国の東トルキスタン共和国の中心都市でありましたし、62年には数万人に及ぶウイグル人&カザフ人がソ連側へと大量越境したイリ事件、97年には平和的なデモが過酷に弾圧されたグルジャ事件、と色々と動きのある場所です。
清のときにはイリ将軍が置かれ新疆を管理し、ロシアに併合され、再び清が回復、中華民国時代を経て東トルキスタン共和国、そして現在は中華人民共和国と複雑な変遷を辿りますが、地政上の要衝であり続け、現在は新疆生産建設兵団の農四師の師部隊が陣取っています。
また時期的にも、チベットの騒乱→玉商人ムタリップ・ハジムの獄死→ホータンの抗議行動 の後に起きた事件だけに気になります。
  
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