ホータンでデモ、600人拘束 その2

RFAの英語版で、ホータンの抗議行動についての記事が載っていました。
世界ウイグル会議のソースはRFAウイグル語版からのですが、RFA英語版も良くまとめられており詳しいので翻訳してみました。
  

http://www.rfa.org/english/news/politics/2008/04/01/uyghur-protest/ 
中国の辺境の地、新疆でのウイグル人の抗議行動
 
イスタンブール、4月1日− 
著名なウイグル人商人、慈善家が拘束され死亡したことにより、数百人のウイグル人が、辺境であり不安定な地である新疆で抗議行動を行った。
RFAウイグル語版リポーターによると、目撃者はホータン県の2つの場所−3月23〜24日にホータン市で、3月23日にカラカシ郡で抗議行動があったと言っている。数百人の抗議に参加した者が拘束されたという多数の証言があり、そして依然厳しい警備が行われている。
多くの情報提供者が、デモは裕福なウイグル人の玉(翡翠)商人で慈善家である、ムタリプ・ハジム(38)の死によって起きたと言っている。2ヶ月の拘留の後、3月3日に警察は彼の遺体を親類に返し、彼は病院で心臓病によって死んだと説明した。当局筋によると、警察は家族に対して、彼の遺体をすぐに葬り、誰にも彼の死を知らせないようにと命令したという。
騒乱は隣接するチベット自治区での中国の規則に対する暴動の2週間後に起き、徹底的な弾圧と無数の逮捕者が出た。チベット人ウイグル人−中国の主要な2つの宗教的な、民族的な少数者−はこの60年、北京の統治下で摩擦を生じてきており、そして中国当局は虐待と抑圧に対する告発に絶えず直面していた。しかし、追放されたウイグル人リーダーがチベットの抗議者を支持する声明を出してはいるものの、このウイグルの騒乱はチベットのものとは無関係に思われる。
 
 
抗議者の要求
 
ホータンとカラカシの両方の地域の抗議者達は、当局によるスカーフ着用禁止を撤回し、自治の拡大要求を抑えるために拷問を用いることを止め、全ての政治犯を解放するよう要求していたと、目撃者は言っている。
ホータンでは、数百人の抗議集団は主に女性から成っていた。ホテルの従業員は、警察は抗議者であると断定したリスト(主に女性)を作り、そして彼らに対してこの中に名前がある者がホテルの客として手続きしたら警察に報告するよう命じた、といっている。
いくつかの報告によるとおよそ600人の抗議者達は、ロップのバス停でデモ行進をはじめた。彼らに人数未詳の男性が加わり、大バザールの商店街まで2km行進したが、そこで彼らは警察に包囲されおよそ400人が逮捕された、とある目撃者は言った。彼らがどれくらいの長さ拘束されたかは不明である。
ある者(身元を確認されることは断わられた)は6人の犠牲者が出たと報告したが、詳細については得られなかった。電話取材に対して、ホータン市と同市のチンバグ地区の警察は、どのような抗議行動も起こっていないと言った。
 
 
警察は抗議は「平和に解散した」と言う
 
カラカシの当直の警官は、抗議した者は「平和的に解散した」と言った。「負傷者も死者も出なかった、我々は抗議に集まった人々に立ち去るよう説得した。」とその警官は言った。彼は正確な群集の数について、後で電話をかけ直すと言ったが、15分後にリポーターが電話をかけると電話を切られた。
ホータンの更に別の2人の目撃者は、抗議行動について何も知らなかったが、その地域の住民はみな自分達の家に留まるよう命令されるなど、異常な治安対策が行われていた、と言った。
一人の地元の労働者は、RFAの中国語版のリポーターに対し、彼女がホータンの暴動について記述すると警察が即刻削除する、と言った。「すぐに取締りが行われ、現在は安定している。」と彼女は言った。「どの程度であるかは分からないが、抗議者達は逮捕された。現在は通常通りに戻っている。」
地元のレストランの従業員は言った。「確かにいくつかの暴動はあったが、現在は平静さを取り戻し、レストランは開店しいている。一部の暴徒が逮捕されたが、何人逮捕されたかは分からない。暴動が続いていた2、3日間はレストランは閉められていた。」
しかしもう一つのレストランの従業員は異なった説明をしている。「レストランはまだ閉まっている。」従業員は言った。「シェフがいない、そして一人の客もいない。」
 
 
緊張した地域
 
いくつかの河川によって豊かなオアシスであるホータンは、歴史的なタリム盆地の南西の縁辺部にあり、区都ウルムチから2000kmの位置にある。
ウイグル人は1600万人以上の人口のテュルク語を話すイスラム少数民族であり、北西部中国と中央アジアにいる。彼らは現在の新疆に、1930年代後期と40年代に東トルキスタン共和国を設立したが、1949年以降は北京の支配下に留まっている。
中国は最近10年に渡って、凶悪な分離主義者とイスラム過激派が新疆ウイグル自治区に独立国家を樹立しようとしているとキャンペーンを行ってきた。新疆はアフガニスタンパキスタンタジキスタンキルギスカザフスタン、ロシア、モンゴルと国境を接している。
2008年3月中国当局は、北京オリンピックをターゲットとしたウイグルテロリストの計画を阻止したと発表した。1990年代初期に、新疆のウイグル人は大規模な暴動を開始し、中国の当局を攻撃し殺害した。中国当局はそのような行為によって162人が死亡し440人が負傷したと主張し、そして厳しい取締りが行われた。
アメリカの2001年9月11日の攻撃の後、北京は、ウイグルのグループはアルカイダとつながりがあり、そのうちの一つ東トルキスタンイスラム運動(ETIM)は「テロリストネットワークの主要メンバーをウサマ・ビン・ラディンが率いていた。」という立場をとった。ETIMはその主張を否定している。
アメリカに拠点を置くHuman Right Watchは、新疆の当局が行っている「監視、支配、宗教活動の抑圧といった幾重にもわたるシステムは、新疆のウイグル人に狙いをつけたものであり、多くのウイグル人は、ありふれた日常レベルでのいやがらせを彼らの日常生活で感じている。」と言っている。
「宗教上の休日を祝うこと、宗教的な文書を勉強すること、宗教的な装いをすることは、公立学校で厳しく禁止されている。中国政府は、誰が聖職者に成り得るか、コーランのどの版を使って良いか、宗教的な集会をどこで開いても良いか、宗教的な行事で何を言って良いか、について規制を設けている。」

 
ホータンとカラカシの2箇所で、大勢の女性によってデモが行われ、多数の拘束者を出したということです。6人の犠牲者という目撃談もありますね。
現在平穏を取り戻した、という話もありますが、まだ店を閉じているという話もあり、なかなか現地の様子はわかりません。そもそも警察が事件の存在そのものを否定するとか、平和的に解散したとか大嘘をついて誤魔化すからどうしようもありません。どうせ少しずつ情報が漏れ出して、後から取り繕うのが大変になるのが分かっている(?)はずなのに。
 
またこのデモが行われた直接の原因は、

  • 玉商人が拷問され死亡したことと、
  • 若者が多数拘束されていること、
  • 若未婚女性を強制的に連行し低賃金で働かせていること、

であったとされていますが、実際に見た人によると、

  • 当局によるスカーフ着用禁止の撤回、
  • 自治の拡大要求を抑えるために行っている拷問の停止

についても要求していたようです。実際に引き金となった事に対してだけでなく、宗教的な抑圧や、政治的な自治権拡大の要求など、普段から鬱積していたものがどれだけあるのかがわかります。
 
ついでに、ウイグル人の人口1600万人というのは、中国の公式発表の2倍近くになります。RFAは以前からこの数字を使っているようです。
中国はウイグル人の人口を少なく発表し、漢人入植者や新疆生産建設兵団には太刀打ちできないと思わせ、独立の意志を削ぐためである、と見ているウイグル人もいるようです。
RFAがどういう意図で政府公式の2倍の数字を使うのか、きちんとした人口調査をしていない推定人口なのでしょうけれども、嘘まみれの中国の発表とどちらが当てになるんでしょうね・・・
 
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